母校人物群像

橋本 萬太郎 (高5回)【言語学者】

橋本 萬太郎(はしもと まんたろう)氏は、1932年、群馬県新田郡沢野村(現・太田市)に生まれ、太高卒業後、東京大学文学部中国文学科に進み、1955年に卒業。大学院では中国語の歴史的音韻や方言の研究に没頭した。その後、さらなる学問的探究を求めて渡米し、1965年にアメリカ・オハイオ州立大学で言語学の博士号(Ph.D.)を取得した。博士論文 Phonology of Ancient Chinese は、古代中国語の音韻体系の再構築を試みた重要な研究として広く知られる。

帰国後、ハワイ大学助教授、大阪市立大学講師・助教授、プリンストン大学准教授など、国内外で研究と教育に携わったのち、1970年より東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)に赴任。1973年に教授となり、同研究所の中核として東アジア言語研究を牽引した。

研究領域は広く、なかでも客家語(ハッカ語)に関する研究は国際的な評価が高い。著書 The Hakka Dialect(1973, Cambridge University Press)は、音韻・統語・語彙を精密に記述した大著であり、今日でも客家語研究の古典として位置づけられている。また、中国南方の少数民族言語(ナシ語・ネワール語・ベ語など)の記述研究にも取り組み、アジア諸言語の第一級資料を多数残した。

一方で、橋本の名を最も世に知らしめたのは、言語類型論と言語地理学を組み合わせた「言語類型地理論」である。これは、中国語および周辺諸語の特徴が地理的に連続して分布することを踏まえ、「地図の上に言語変化の歴史を読み取る」という新しい視点を提示したものだった。この理論は、東アジア言語研究における転換点となり、研究者たちに新たな方法論を示した。

日本語による著作には『言語類型地理論』『現代博言学』『漢民族と中国社会』などがあり、専門書のみならず一般向けの言語論にも筆をふるった。また、チョムスキー、ヤーホントフ、趙元任らの重要文献の翻訳を通じて、言語学の基礎を日本に紹介した功績も大きい。没後には『橋本萬太郎著作集』(全3巻、内山書店)が刊行され、その学問の全容が後世に伝えられている。

1987年、54歳で逝去したが、その功績は国内外で高く顕彰され、国際中国語言学学会(IACL)には彼の名を冠した“Mantaro J. Hashimoto Award for Chinese Historical Phonology”が設立され、中国語音韻史研究に優れた若手研究者に授与されている。

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