略歴
橋本貢士氏(高40)は1966年、横浜市に生まれ、父・橋本逸郎(高13)の転勤に伴う数回の転居を経て太田で少年期を過ごした。父は橋本がわずか小学5年の時、37歳で胃がんのため早世した。遺書には「医者になってがんを治してくれ」と記されており、その後の進路を決定づけた。母は洋裁で生計を立てながら橋本とその妹を育て、決して恵まれた生活とはいえなかったが、橋本は温かな家庭で少年期を送った。
母方の叔父で医師の外山攻(高15)を敬愛していた橋本は、太高入学後、叔父の出身大学である東京大学理科三類を志望した。その受験期間に、母は大腸がんを患い、橋本は母の看病と家事、妹の世話を担いながら受験生活を続けたが、母は47歳の若さで他界し、その後、最終的に群馬大学医学部に進学した。したがって橋本の両親は橋本が医学部に進学したことを知らない。2年間の浪人生活を経ても第一志望に合格できなかったことはその後も橋本を長く苦しめることになるが、妹を育てながら医師になれたことは、橋本自身「天の配剤」と受け止めている。
1993年に群馬大学医学部卒業後、臨床医としての研鑽を積み、1997年には米国ハーバード大学 Beth Israel Deaconess Medical Center 内分泌代謝部門にリサーチフェローとして留学した。
留学中に難病である甲状腺ホルモン不応症(Refetoff症候群)のモデルマウスを世界で初めて樹立。甲状腺ホルモン受容体(TR)β遺伝子に変異を導入したノックインマウスの作成と徹底した表現型解析により、神経発達異常から代謝異常に至るまで多岐にわたる甲状腺ホルモン不応症の病態を分子レベルで明らかにした。
2000年に帰国すると、このマウスでの解析をもとにTRとLiver X receptor(LXR)の「核内受容体クロストーク」を解明した。これら二つの受容体が肝臓における脂質代謝遺伝子の制御において互いに交差し、複雑に作用し合うことを明瞭に示したことは、代謝疾患の新たな治療戦略を拓く知見として国際的にも高く評価されている。
2013年に東京医科歯科大学(現 東京科学大学)に准教授として招聘されると、近年世界的に注目を集める DOHaD(発達起源説)研究の分野における「エピジェネティック・メモリー」概念を確立した。肝臓で働く代謝ホルモンFGF21の遺伝子メチル化が、出生前後の環境の影響を受けて長期に維持され、成人期の肥満抵抗性にまで影響を及ぼすという発見は、発生・代謝・環境をつなぐ画期的な成果である。また、母体のわずかな甲状腺ホルモン低下が子の脳神経系の遺伝子発現を長期にわたり規定することを示した研究は、ヒトの発達と健康の根幹に新たな視座をもたらした。
これらの一連の成果は、いずれも国際的な学術誌に掲載され、国内外の学会からHenry Christian Award、Knoll Pharmaceutical Clinical Fellowship Award、日本甲状腺学会七條賞、日本内分泌学会研究奨励賞など様々な賞を受賞している。
2019年より現職の獨協医科大学埼玉医療センター糖尿病内分泌・血液内科主任教授に就任し、2023年には同センター副院長として臨床、研究そして教育を統べる要職を担いながら、次世代の医学・医療を切り拓く研究を精力的に推進している。
学会活動では、日本甲状腺学会第8代理事長、日本内分泌学会副代表理事、日本神経内分泌学会第50回会長、アジアオセアニア甲状腺学会理事など多数の重要職を歴任している。また、2026年に京都で開催される第22回国際内分泌会議/第99回日本内分泌学会学術集会(ICE/JES2026)ではプログラム委員長を務め、国際的にも活躍している。
2024年には、太高創立127周年記念講演会において、自らの半生と医学への志、そして逆境に屈せず歩んできた軌跡を後輩たちに語った。その姿は、太高の若き後輩にとって未来への勇気と希望を与えるものであった。



