人物としては、川岸 文三郎(中1回卒・故人)、大澤 正明(高19回卒)、田端 輝夫(高23回卒)の3氏、エピソードとしては支部交流ソフトボール大会最多優勝について記します。
1.人物
○川岸 文三郎(中1回卒)日本陸軍の軍人で最終階級は陸軍中将。
1882年(明治15年)1月1日、群馬県新田郡尾島町前小屋(現在の太田市前小屋町)で生まれる。1898年(明治31年)太田中学の第2期生として入学、1学期で1年生の課程を終え2学期から2年生に編入。5年生の1901年(明治34年)12月に陸軍士官学校に合格して士官候補生(15期)になったため、同級生と共には卒業せず中1回卒となった。1903年(明治36年)11月、陸軍士官学校(15期)を卒業。日露戦争では、歩兵第3連隊付として出征。1911年(明治44年)11月、陸軍大学校(23期)を卒業。支那駐屯軍参謀、第1師団参謀などを歴任し、1924年(大正13年)2月から1929年(昭和4年)まで侍従武官を務めた。近衛歩兵第4連隊長を経て、1931年(昭和6年)8月、陸軍少将となり再び侍従武官に就任。独立混成第11旅団長を経て、1935年(昭和10年)8月、陸軍中将となった。第20師団長在任時に日中戦争が勃発し動員され、華北地方を転戦、部下には第40旅団長でのちに「マレーの虎」と呼ばれた山下泰文少将がいた。東部防衛司令官などを経て、1939年(昭和14年)12月、予備役に編入され、のちに朝鮮連盟事務局総長、興亜練成所長、大東亜練成院第1部長を歴任した。1957年〈昭和32年〉6月16日永眠、享年75。
金山の山頂直下に川岸が揮毫した「漢落碑」(石碑としては珍しい都市の陥落記念碑)がある。従三位、勲一等旭日大綬章受章。
○大澤 正明(高19回卒)前群馬県知事(第17~19代)。
1946年(昭和21年)1月21日、群馬県新田郡尾島町尾島(現在の太田市尾島町)で生まれる。父は尾島町長を務めた大澤明治。1964年(昭和39年)群馬県立太田高等学校卒業。1969年(昭和44年)慶應義塾大学工学部卒業。1970年(昭和45年)海上自衛隊幹部候補生学校卒業(20期1分隊)。1971年(昭和46年)大沢建設株式会社入社。1978年(昭和53年)に株式会社三協を設立し代表取締役となる。
1983年(昭和58年)に尾島町議に当選、連続2期を務め議長も務めた。1991年(平成3年)に群馬県議会議員に当選、4期を務める。2006年(平成18年)5月30日から1年間、第80代群馬県議会議長も務めた。
2007年(平成19年)7月22日、群馬県知事選挙に、自由民主党公認で立候補。5選を目指した小寺弘之らを破って群馬県知事に初当選し、7月28日に群馬県知事就任。2011年(平成23年)7月3日、群馬県知事選で再選。今回は自民党公認ではなく、無所属として立候補し、自民党、公明党、みんなの党の推薦を受けた。2015年(平成27年)7月5日、群馬県知事選で3選(無所属、自民党・公明党推薦、連合群馬支持)。2019年(平成31年)2月6日、4選不出馬を表明し3期満了で政界を引退。2020年(令和2年)11月3日、旭日重光章受章。
○田端 輝夫(高23回卒)第9代金山同窓会長(現会長)
1949年(昭和24年)旧尾島町生まれ。現在は大泉町に在住。小学校時からラヂオ少年(アマチュア無線局コールサインJA1PNY)。1965年(昭和40年)太田高校入学。太田高校創立七十周年式典時に生徒会長を務める。太田高校アマチュア無線クラブJA1YVH開局。1968年(昭和43年)太田高校卒業。1972年(昭和47年)東京大学工学部電気工学科卒業。1974年(昭和49年)同大学修士課程修了(宇宙航空研究所(現JAXA)。東京三洋電機に入社し半導体(LSI)の研究開発に従事、特許53件USP2件取得。2003年(平成15年)三洋半導体(株)社長。2011年(平成23年)米国オンセミコンダクタと合併、同社vice-president(2014まで)。現金山同窓会会長(第9代)。
2.エピソード(トピックス)
尾島支部は金山同窓会主催の「支部交流ソフトボール大会」で第1回大会優勝を皮切りに令和7年の第16回大会まで、最多の優勝回数を誇っています。

