京都高等女学校
京都の起源
現在の行橋市・京都郡の地域は古代から京都郡・仲津郡の二郡の名称で登場し、『倭名抄』や
『延喜式』にその名が見られる。そして、「京都」には美夜古の訓があてられている。
『日本書紀』景行天皇12年9月の条に「天皇、遂に筑紫に幸して、豊前国の長峡県に到りて、
行宮を興てて居します。故、其の処を号けて京と曰ふ」とあるのが、「みやこ」の訓の初出であ
り、校歌にも歌われる「その名も床し」京都の訓はここにはじまるのである。
古鏡を表す銀台に七宝で隷書の「京女」を打ち出す。京女を松葉になぞらえ、「常磐」の意味を象徴している。
昭和2年、本校の守田千穐教諭(美術担当)の考案による。
昭和5年、第5代松本寛吉校長着任後、間もなく、本校に初めて校旗が制定された。
京都高等学校
「京都」の「京」の字を表す構図の中心に「高」の文字を白く浮き上がらせている。
昭和24年、守田千穐教諭の考案により制定され、以後本校の象徴として現在に至っている。
昭和33年、12月に制定。
創立40周年記念式典で披露された。
同窓会旗
ギャラリー
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