2025年 東海支部報告
支部長 近藤 馨 (学24EA)
1)令和7年度同窓会
開 催 日 : 令和7年6月28日(土)12時より
場 所 : 名鉄グランドホテル18階 中華レストラン「涵梅舫」
来 賓 : 中野 貞弘氏 楠ヶ丘会副会長
田中 悟 氏 神戸外大学長
岡山 裕司氏 神戸外大事務局長
特別参加 : 吉村 仁 氏 兵庫県神戸市より
島津 政子氏 滋賀県栗東市より
藤本 敏一氏 埼玉県所沢市より
松藤 玲子氏 兵庫県尼崎市より
岩田 慶子氏 兵庫県神戸市より
伊藤 絵里氏 東京都港区より
出 席 者 : 東海支部会員 19 名
講 演 : 近藤 馨 氏 (昭和50年卒 E・高等学校非常勤)
「赤松先生と私」
概 要 :
今年度の講演者をいよいよ決めねばという春先に、帯状疱疹に罹患してしまい、とうとう講演者未定の案内を送付する羽目となった。
左後頭部及び頚部の痛みが取れないまま5月を迎え、いよいよ清水の大舞台から飛び降りる決意をせざるを得なくなった。学生時代の思い出話でもと上記の演題を捻出した。
東海支部では、20年前にも講演を依頼されたことがあり、高校野球に携わったお話をしたことがあった。今回も、その延長線上のテーマとなった。赤松光雄先生は、外大1回卒の同窓生であり当時英米学科の若手教員(助教授)でもあった。囲碁将棋・スポーツ観戦・海釣りと多趣味の人だった。とりわけ徳島出身だけあって「阿波の釣りキチ」を自称されるほどの釣り名人だったようだ。高校時代は大阪浪商の野球部の門を叩くも、快童・尾崎行雄がチームを率いていて、とても歯が立たないと退部を余儀なくされたとか。
先生との関わりは、残念ながら1回生及び2回生時の授業を受講しただけの関係でしかなかった。アメリカ黒人文学への進路を決めゼミ開講を依頼したが、客員教授として中国・天津へ出向されてしまう。小説にでも出てくる「先生と私」という間柄とは程遠かった。漱石の「木曜会」に集まるような「赤松門下生」を思い描いていたのだったが……。
卒業後高校野球にどっぷり浸かっていた最中、先生の懐かしい声が電話口に響いた。当時まだほとんど知られていなかった「ニグロ・リーグ」の英雄、サチェル・ペイジを扱ったノンフィクション書籍の書評を書けとの依頼だった。原稿料は出せないが、その後「黒人研究の会」会員への新規登録を余儀なくされる。
遅ればせながら、こうして「先生と私」の新たなる関係が始まることになった。書いた原稿を持って神戸のご自宅を訪問したり、同窓会総会でお会いしたりという、それこそ年1〜2回お顔を拝見するだけのお付き合いだったのだが……。
以上のようなお話を漫談さながらに語ることで、お茶を濁したのが今回の講演だった。出席頂いた方々には、長々とお聞き苦しいお話をしてしまったことに謝罪の間も持てず、ホテル側からは終了を迫られる羽目となった。
2)令和8年度同窓会開催予定
開 催 日 : 未定 (例年の6月開催を見直す予定)
場 所 : 未定
講 演 : ステパンツォフ則子 (岩瀬) 氏 (学54P)





