楠ヶ丘会広島支部は2025年10月18日、広島市中区堀川町のバッケンモーツアルト中央通り本店3階で2025年度総会を開き、支部会員ら12人と来賓3人の計15人が出席した。
菅川幹人支部長(学24C)が「若い人を集める組織にしたい」と挨拶。土井洋之事務局長(学26C)は活動報告で7月9日、マツダスタジアムパーティーフロアで広島―阪神戦の野球観戦会を行い、関西や東京在住も含めて同窓生と家族計30人が集まったと振り返った。楠ヶ丘会ホームページに支部会員情報を掲載し、26年も野球観戦会を開き、26年総会は10月17日とする25~26年度活動方針を提案。湯藤慶子会計担当理事(学45H)、佐々木由美監事(学37P)による会計・監査報告、渡辺(吉本)智恵副支部長の辞任表明に伴い副支部長を空席とする役員人事案も提案され、各議案は拍手で承認された。
続いて清水考子さん(学17EC)が「通訳案内士とヒロシマ」と題して講演。清水さんは英語通訳案内士資格を持つ外大同級生に刺激され1970年の試験で合格し、通訳歴は約半世紀。最近、外国人観光客に「誇らしく言うと、やっと80歳代に到達した」と告げると、「若い」と驚かれると話した。原爆については、被爆者差別を避けて60歳になるまで原爆手帳を取得しなかった夫のことや、爆心地から2キロ西で被爆し黒い雨に打たれた義父が、被爆2日目に義父の両親を探そうと広島市内へ入ると地面が熱くゴムの靴底が溶けたこと、その後も両親は見つからずじまいといった家族の体験を織り交ぜて外国人に伝えているとした。
1990年、被爆死した米兵の娘を案内した時、娘は米兵が日本人にリンチされ死んだと疑っていたが、元広島平和文化センター所長の本多正登さん(学23H、2023年死去)が被爆者名簿を調べてくれて被爆死を確認。本多さんが原爆資料館閉館後だったのに特別に原爆の記録映画を見せてくれ、娘は「Everybody suffers in the war」と語った逸話を語った。3年前、外大がホスト校になった模擬国連世界大会神戸大会で広島視察が行われたことを「意義深い」と評価した。「原爆により何が起こったかわからず死んだり、家族を亡くして心に傷を負ったりした人々の叫びが聞こえてくる気がする。使命感を感じる」と述べ、「Do what you can, with what you have, where you are」いうセオドア・ルーズベルト元米国大統領の言葉を信条に「体の動く限りヒロシマの心を伝えたい」と締めくくった。
タイ料理などを食べながらの懇親会で、田中悟・神戸外大学長が「厳しい人口減時代なので、卒業生と在校生の交流が必要。資金寄付もお願いしたい」と訴えた。出席者の近況報告では、卒業後10年の男性は「4年前に地元に戻ったが、いつか広島を出ていろいろなことにチャレンジしたい」と意欲を見せた。阪神ファンという女性は「野球観戦会ではアウェー感があったが、阪神は今季優勝した」と喜びを表明。大学院修士課程英語教育学専攻を修了した女性は昨夏、広島支部主催のサッカー観戦会を機に支部に関わり始め、総会は初参加。「英語教諭をしながら3年間、広島から院に通った」と回顧し、数年前から60歳代で通訳案内士の仕事を始めたと明かした。出席者で最長老の81歳男性は「文化センターで英語講師を務め、趣味のピアノで発表会にも出た」と多才ぶりをアピール。70歳代男性は「5月下旬、呉市であった日台親善少年野球広島大会で中国語の通訳をした」と昔の専攻が国際親善に貢献していると胸を張った。
今回、愛媛県から初参加した外国人材紹介専門会社の男性は「広島支部がどんな活動をしているか、知りたくて来た。四国に支部はないが、いつか中四国の同窓生が集まれたら」と希望した。外大を中退しエリザベト音楽大(広島市)に入学し、現在、同大非常勤講師を務める50歳代男性は「4年生まで在籍したものの、音大にどうしても習いたい先生がいた」と振り返った。藤井英映(ひではる)・楠ヶ丘会副会長が「中退者は正式名簿には載らないが、同窓会加入は認められている」と入会を勧めた。このほか、出席者は仕事のことなどを話し合い、打ち解けた雰囲気で約3時間を過ごした。(広島支部事務局長 土井 洋之)
- 資料を持って講演する清水考子さん
- 記念撮影に納まる広島支部総会参加者





 
  
  
  
  
